笹谷 孝英
はじめに
1890年代後半から関東で栽培される水稲(イネ)で、葉に白色の条斑(すじ)を生じ、紙縒(こより)状によじれて枯れる「幽霊(ゆうれい)病」と呼ばれる奇病が発生した(図1A)。1960年代には西日本で大流行し、戦後の食糧安定生産を目指していた日本では深刻な問題となった。本病はヒメトビウンカ(図1C)で媒介されるイネ縞葉枯ウイルスによることがその後分かった。当時、同様のウンカで媒介されるイネの病害がフィリピンやコロンビアでも大流行し、問題となっていた(1)。国内外で発生したこれらの植物病はウイルスによって引き起こされ、その形状は枝分かれしたひも状であることから(図1D)テヌイウイルス(ラテン語の「細い」をあらわす“tenuis”に由来)と呼ばれる(2)。また、テヌイウイルスはイネだけでなく、ムギ類やトウモロコシでも発生し、世界中のイネ科作物に被害をもたらしている。
イネ科作物:イネ、コムギ、オオムギ、ライムギ、キビ、アワ、トウモロコシ、モロコシなど狭義の食用穀物、サトウキビなどの資源植物、オーチャードグラスやメドウフェスクなどの牧草も含まれる。
テヌイウイルスの種類と分布
テヌイウイルスは11種が知られており、世界各地のイネ、トウモロコシ、コムギなどのイネ科作物で問題となっている(表1)(2、3)。その主なものについて以下にいくつか紹介する。イネ縞葉枯ウイルスとイネグラッシースタントウイルス以外は、日本での発生はまだ確認されていない。
イネ縞葉枯ウイルス—日本をはじめ中国、韓国などの東アジアで発生している。
イネグラッシースタントウイルス—1963年にフィリピンで最初に発生が確認され、世界の主要なイネ生産国である中国、インド、インドネシア、バングラデシュ、ベトナムなどの多くのアジアの国で発生し、感染したイネは芝生状に萎縮して収穫が皆無となることからその発生が恐れられている(図1B)。なお、1978年に九州で本ウイルスの発生が確認されたが、迅速な封込め対策により、現在では根絶している(4)。
イネオーハブランカウイルス—1930年ごろコロンビアで発生が確認され、1955年ごろベネズエラやキューバで大流行した。パナマやコスタリカなど中南米のイネ栽培地域で発生し、感染したイネは縞葉枯病と同じ症状を示し、葉が白色化して株全体が枯れあがる。
トウモロコシ条斑ウイルス—1929年にモーリシャス島で発生が報告されて以来、アメリカやキューバなどの中南米、ナイジェリアやケニアなどのアフリカ、中国やフィリピンなどの東南アジア、およびオーストラリアの熱帯から亜熱帯のトウモロコシ産地で蔓延している。感染したトウモロコシは葉が縞状に黄変し、生育が著しく阻害され枯死するため、トウモロコシ生産に深刻な被害をもたらす。
コムギヨーロッパ条斑モザイクウイルス—1950年代にボスニア湾沿岸の国々のコムギやオートムギなどのムギ類でが大流行した。本ウイルスはイギリスやスペインなどヨーロッパに広く分布しており、感染したムギの葉は黄から褐色に変色し、株全体が萎縮し枯死に至る。ムギ類に同様な症状を示すテヌイウイルスとして、ブラジルのコムギ白化スパイクウイルス、南アフリカのコムギ黄化ウイルス、イランのコムギイラン条斑ウイルスがある。
テヌイウイルスの被害と今後の発生
テヌイウイルスはウンカに媒介されて作物に感染し、親成虫から子供へウイルスが経卵伝搬(卵を介して伝染)されることもあり、その伝搬率はイネ縞葉枯ウイルスとイネオーハブランカウイルスでは60%以上とされる。また、ウイルスを媒介するのは特定の害虫であり、媒介虫の分布がウイルスの発生地域と重なる。従って、媒介虫を防除することがウイルス病の防除につながる。
水稲の早期栽培の普及により、イネ縞葉枯ウイルス媒介虫であるヒメトビウンカの発生時期を避けることができるようになり、ウイルスをもったヒメトビウンカの水田への侵入が回避され、日本における縞葉枯病の発生は減少した。2000年代に入り、関東各県で縞葉枯病の発生が問題となったこともあるが、迅速に対策が立てられたお陰で現在では局地的な発生に限られている(5)。
一方、薬剤抵抗性となったトビイロウンカが中国をはじめ東南アジアの国で発生するようになり、その発生拡大が懸念されている。2005年にはベトナムおよびその近郊の地域でトビイロウンカの大発生にともなうイネグラッシースタント病の被害が深刻化し、その被害額は1億米ドルとされ、アジアの食糧生産の安定が危惧された。近年の気候変動による媒介虫のさらなる分布拡大や発生増加により、テヌイウイルスの世界的な被害拡大が懸念される。さらに、新たなテヌイウイルス種の発生も報告されており、ドイツではメドウフェスク条斑随伴ウイルスが、フランスやオーストリアのメロンではテヌイウイルスと近縁なメロン退緑斑点ウイルスが報告されており、これらウイルスはイネ科やマメ科雑草も宿主とするため今後もこのような新規ウイルスの発生および分布拡大に注意を払う必要がある(2)。
引用文献
- 鳥山重光(2010)「水稲を襲ったウイルス病」創風社 306pp.
- ICTV Report Chapter「Family:Phenuiviridae」 (2024年12月19日閲覧)
- 日比野啓行(1989)「熱帯地方に発生するイネウイルス病」植物防疫43:427-431.(2025年1月15日閲覧)
- 土崎常男・栃原比呂志・亀谷満朗・柳瀬春夫 編(1993)「原色作物ウイルス病事典」全国農村教育協会 756pp.
- 最新農業技術・品種2021「イネ縞葉枯病の総合防除体系の構築を支援するマニュアル」(2025年1月15日閲覧)